石油産業への投資についてのレビュー

投資初心者のサラリーマン必見!!【石油産業に対する投資方針に関するレビュー<第三弾>】

【第3弾】では、世界の石油産業利権の変遷について見ていきたいと思います。

スタンダード・オイル支配からセブンシスターズ支配の時代へ

世界の石油産業を語る際の重要事項として、まず1番に挙げられるのが、ジョン・ロックフェラー率いるスタンダード・オイル社です。

20世紀に入り、1908年にはフォードのT型生産方式が確立するなど、石油はガソリンとして、またストーブ燃料としても活用されはじめます。
この石油需要の急増を追い風に、スタンダード・オイルは石油生産シェアの90%を誇る巨大企業に成長していきました。
このスタンダード・オイル一人勝ちの状況を危惧し、ついにアメリカ連邦議会が動きます。1911年、「反トラスト法」が制定、スタンダード・オイルは地域ごとの34社への分割解体を余儀なくされました。

スタンダード・オイルの後継会社(一部):
スタンダード・オイル・オブ・オハイオ(ソハイオ)- 現在BPの一部
スタンダード・オイル・オブ・インディアナ(スタノリンド、後にアモコに改名)- 現在BPの一部
スタンダード・オイル・オブ・ニューヨーク(ソコニー、その後ヴァキューム・オイルと合併)- モービルに改名後、現在エクソンモービルの一部
スタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー(エッソ、S.O.)- エクソンに改名後、現在エクソンモービルの一部
スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア(ソーカル)- シェブロンに改名後、現在シェブロンの一部
アトランティック・オイル – リッチフィールド石油と合併しアトランティック・リッチフィールド(アーコ en:ARCO)を形成、現在BPの一部。アトランティック部門は離脱しスノコに買収された。
スタンダード・オイル・オブ・ケンタッキー(ケイソ)- ソーカルによって買収され、現在シェブロンの一部
コンチネンタル・オイル・カンパニー(コノコ) – フィリップス石油と合併してコノコフィリップスを形成、下流部門は離脱して現在フィリップス66の一部


そしてその後、石油産業はセブンシスターズの時代へと変遷していきます。分割解体されたスタンダード・オイル各社が目をつけたのは海外でした。
1910年代は第一次世界大戦が勃発し、軍需としての石油需要が増えると同時に、
第一次世界大戦敗戦国となったオスマン帝国の解体というイベントがありました。
新生トルコ、またオスマン帝国の支配下にあったイラクなどにイギリスの息が及ぶようになり、中東全域での石油採掘ブームを巻き起こしました。
そして地域の各政府と交渉を重ね石油採掘権を握っていったのが、スタンダード・オイルの生き残り各社と、植民地での石油採掘に成功していたイギリス、オランダの企業です。
このようにして、世界の石油採掘は、スタンダード・オイルを前身とするエクソンモービルソーカル、20世紀初頭テキサス石油ブームで力をつけたガルフテキサコ、植民地での石油採掘を始めていたロイヤル・ダッチ・シェルブリティッシュ・ペトロリアムの7社が支配する「セブンシスターズ」時代が開幕するのです。

セブン・シスターズのうち、5社がアメリカ資本で、残りの2社が、イギリス資本系のBP(ブリティッシュ・ペトロリアム)と、イギリスとオランダ資本系のロイヤル・ダッチ・シェルです。
このセブン・シスターズが、資源ナショナリズムにより石油輸出国機構(OPEC)が主導権を握るまで、世界の石油のほぼ全てを支配していました。

OPEC(石油輸出国機構)の創設

この状況に一矢を報いたのが、中東諸国を中心に結成されたOPECの創設です。
産油国は、国家財政の大半をセブンシスターズからの収益分配金で担っているのに、その石油の価格決定権をセブンシスターズに握られてしまっている、この状況を打破しようと考えたわけです。
1960年設立当初のメンバーは、イラン、イラク、サウジアラビア、クウェート、ベネズエラ。
その後10年の間に、カタール、インドネシア、リビア、アラブ首長国連邦、アルジェリア、ナイジェリアなどが加盟、産油国がセブンシスターズから石油利権を取り返す攻勢を繰り出します。

OPEC諸国が狙ったのは石油利権の奪還と石油価格決定権の確保です。
石油利権の奪還では、OPEC創設より前の1951年に、イラン政府がアングロ・イラニアン石油(後のブリティッシュ・ペトロリアム)が持つイラン石油利権を国有化、1960年にインドネシア、1967年にアルジェリア、1970年にはリビア、1972年イラク、1973年サウジアラビア、1976年カタールとクウェート、UAEアブダビ、ベネズエラ、1979年にナイジェリアで、セブンシスターズが持つ石油資源会社の国有化が実施されました。
こうして、OPEC諸国で産油地を失い、産油国政府から石油採掘工事を受託するサービス業者へと転換したセブンシスターズは、その権勢の旗を降ろしていきます。

価格決定権の確保では、当時セブンシスターズが決めていた公示価格を1971年のテヘラン協定、トリポリ協定で段階的に引き上げさせ、そして1973年の第四次中東戦争を機にOPECがセブンシスターズへの相談なく立て続けに、70%の価格引き上げ、イスラエル支援国への石油禁輸、130%の価格引き上げを実施するという第一次オイルショックを経て、セブンシスターズは価格決定権を完全に喪失しました。
このことは、セブンシスターズによる石油価格安定の時代の終わりも意味していました。

2000年代 アメリカ・OPEC・BRICs

2000年代には、最も老舗の産油大国であるアメリカ、マーケットシェア40%を握るOPEC、そしてBRICsという新興国の台頭が産油マーケット全体に大きな嵐を呼び起こしていきます。
まず、アメリカ。1970年代からのアラスカ油田で一度は産油量を回復させたアメリカも、1987年をピークに産油量を年々減少させていきます。
資源大国アメリカも国内の油田が劣化していったのです。
同様のことは北海油田についても言え、イギリス、ノルウェー政府も安穏とはしていられない状況になっていきます。

一方、OPECは、1997年のアジア通貨危機を機に急落した原油価格を持ち上げようと、1999年にOPEC加盟国が集い久々に全加盟国が減産に合意、価格引き上げに成功します。
世界中のどの他の地域よりも経済を石油に依存している中東OPEC諸国は、世界の国々の中でも最も価格に敏感にならなければいけない必然があったのです。

そしてBRICs。今までは資源開発投資にも積極的になれなかった中国、ロシア、ブラジルが急速に石油採掘に力を入れ始めます。
彼らはNOC(National Oil Company:国営石油会社)というスタイルを取り、政府主導での油田開発を実施していきます。
その結果、中国では国有企業のペトロチャイナ(中国石油天然ガス集団)シノペック(中国石油化工集団)CNOOC(中国海洋石油総公司)、ロシアでは国有企業のガスプロム、ブラジルでは国有企業ペトロブラスが急速に世界の中でのプレゼンスを高めていきました。これらの企業はセブンシスターズでもOPECでもない第三極を構成してきています。
ペトロチャイナガスプロムペトロブラスに、サウジアラビアのサウジアラムコ、ベネズエラのPDVSA、マレーシアのペトロナス国営イラン石油を加えた7社は、「新セブンシスターズ」と呼ばれるようになりました。

こうしてマーケット環境の急激な変化の中で、セブンシスターズは自らの経営基盤を強化する必要性を感じ統合を繰り返し、国際石油メジャーと呼ばれる企業は、現在はやや格下であった仏トタルを含めた5社にまで絞りこまれている状況です。
国際石油メジャーは、旧来から保有していたアメリカを始めとする先進国国内の油田産油量が減少する中、周辺領域の海底油田やアフリカ、中南米の途上国での新たな資源開発に活路を見出そうとしているのです。

シェールオイルという新たな担い手

産油事情にとって最も新しい動きがシェールオイルです。
通常の石油より奥深いシェール層に埋まっているシェールオイル、2014年頃から急速にアメリカで採掘が広がり、衰退していたアメリカの石油業界が息を吹き返したような状況になっています。
シェールオイル採掘の担い手は、国際石油メジャーではなく多くが投機的とでも言えるようなリスクテイキングなスタートアップ企業です。
彼らには投資家からのリスク資本がついており、それが開発を促しています。
最近では国際石油メジャーも関心を寄せ始め、一部では開発プロジェクトへの出資が始まっています。

シェールオイルの採掘が始まり2013年頃からアメリカの産油量は上昇に転じました。
もちろんこの産油量増加にはメキシコ湾等の海底油田からの産油も大きく後押ししています。
今後の見通しではシェールオイルによる産油量の押し上げは今後数年は続くようです。